2011年1月20日(木)マタイ7章 奇跡を行う者の末路


かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』(マタイ7:22-23)

 「『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない」(21節)とは、何と恐ろしい言葉でしょうか。『主よ』と祈るだけでは、御国に入れないのでしょうか。

 問題は、何を祈り求めるかです。特にここで注意されているのは、「預言する」、「悪霊を追い出す」、「奇跡を行う」という特別な行為です。仮に、御名によってこれらのことができたとしても、主は「あなたたちのことは全然知らない」とおっしゃいます。

 主が求めておられるのは、「わたしの天の父の御心を行う」(21節)ことです。主は、父の御心を山上の説教で教えてくださいました。それは、人目を惹く奇跡を行って、自分を目立たせることではありません。日常生活のすべての場面で、「父の御心とは何ですか」と祈り求めて生きる歩みです。

 大きな奇跡ができても、日々の生活が崩れていては、無意味です。主の十字架に寄り頼み、生活に宿っている罪の赦しを求め、心から主の御言葉に従い、御心を求めて御名を呼ぶ者となりたいものです。