2011年1月22日(土)マタイ9章 罪人を招くキリスト


「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9:12-13)

 主イエスは、徴税人マタイの家で、罪人たちと共に食事をしていました。主は、罪人たちを愛していたからです。ところが、その様子を見ていたファリサイ派の人びとは、その事に異議を唱えました。彼らは、汚れ(罪)から分離された者という自覚を抱いており、罪人たちと同席することなど、彼らにとっては言語道断でした。

 しかし、主イエスは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」とお答えになりました。ここでの「医者」とは、主イエスご自身のことです。ご自分が病を癒やす医者だからこそ、病人である罪人たちに近づき、罪からの癒やしを与える必要があるというのです。

 「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われる主イエスは、ご自分のほうから罪人たちのところに来てくださり、憐れみの御手を伸ばしてくださるのです。しかも、主の招きは救われた罪人であるマタイを通じて成されました。主の招きは、救われた罪人である私たちキリスト者を通してなされるのです。

 罪人のかしらである私たちも、このキリストに招かれています。