2011年1月28日(金)マタイ11章 キリストにある安息


「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

 人は誰しも、何らかの重荷を負い、疲れを覚えながら、さまざまな試練の中に生きています。そして、今にも倒れそうなのが、私たちの真実の姿ではないでしょうか。

 このような人間に、もっとも必要なものは何でしょうか。それは休息です。主イエスは、「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いてくださいます。心優しい方がわたしの側にいることほど、人の魂を安らかにすることはありません。

 そのお方こそ、主イエス・キリストです。主はわたしの側に寄添い、重い軛を共に担ってくださいます。主が共にその軛を担ってくださるとき、その軛は負いやすく、心地よいものとなるのです。また、主と共に軛を負うと、主の「柔和で謙遜な」生き方を学ぶことになります。それは、この世の重荷を下ろし、永遠の安息をいただくための学びです。怒り易く高慢な者には、安らぎはありません。

 柔和な主が、今日も、私たちの重荷を共に担ってくださいます。あなたはひとりではありません。