2011年2月13日(日)詩編90編 命の儚さから充満へ


あなたがわたしたちを苦しめられた日々と
苦難に遭わされた年月を思って
わたしたちに喜びを返してください。(詩編90:15)

 神の民が歴史において無に等しい自分の姿を見出したとき、そこに、神を逃れ場とするほかはない人の生き方が表れてきました。誇るものを何も持たず、一瞬のうちに通り過ぎていくだけの人生かもしれない。しかし確かに生きていて、神を思うことができる。そう気付くときに、人は神と本当に出会うのかもしれません。この世の中に対して人間が空っぽになったとき、神がその中を満たしてくださる。この詩編が後あとまで伝えているのはそうした信仰の真実です。

 私たちは新約聖書を通して、神が祈りに応えて、人の命を恵みで満たしてくださったことを知らされています。イエス・キリストの御業を通して人間に注がれる聖霊こそ、待ち望まれた朝の到来です。人間、生きても7〜80年、神の永遠に比べれば吹けば飛ぶような儚さです。けれども、そうした草のような命にかえて、神は新しい命を聖霊によって生み出してくださいます。神の永遠が私たちのうちに息づいて、私たちを人生の苦悩に耐えさせてくださいます。