2011年2月21日(月)列王上9章 再び与えられた約束


主はかつてギブオンで現れたように、再びソロモンに現れ、こう仰せになった。「わたしはあなたがわたしに憐れみを乞い、祈り求めるのを聞いた。わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名をとこしえに置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」(列王上9:2-3)

 ソロモンが主の神殿と王宮の建築という念願を果たし終えたとき、主はかつてギブオンで現れたように、再びソロモンに現れました。主は、ソロモンが建てた神殿を聖別し、ご自分の名をとこしえに置いて、絶えず目を向け、心を寄せる、と約束してくださいました。

 しかし、イスラエルの民が、神殿を真に主の臨在される場所としなければ、神は神殿を壊されるだけでなく、祝福さえも取り去られます。神と民との間には、祝福と呪いの約束の歴史がありました。それは、王国が確立後も変わることがありません。主は、神殿の完成という節目にあたって、再び、祝福と呪いの約束を語られました(5〜9節)。呪いは、裏を返せば、「わたしの恵みの内にいなさい」という神の愛のあらわれです。

 ダビデのように無垢な心で主の御前を歩んで、神に喜ばれる生活をし、いつまでも主の祝福のうちにいるようにという招きを、ソロモンは受けました(4、5節)。このように招かれる幸いが、私たちにも与えられています。