2011年2月26日(土)1テモテ3章 信仰の輝き


キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。(1テモテ3:12-14)

 3章冒頭の罪の姿は、信仰を持たない者ではなく信仰を持った人たちの間に、終わりの時に、はびこるものとして描かれています。その最初に挙げられ、目に付くのが、自分自身を過度に愛することです。自分を必要以上に愛する人たちの特徴は、「信心の力」を否定すること(5節)とされています。

 パウロはテモテに向かい、彼が、パウロの教えにならって苦難をものともしないで生きてきたことを思い起こさせます(11節)。さらにパウロは、信仰に生きる者は迫害を受けると言い切っています。信心の力に生きる者は、過度な自己愛から解放され、迫害の道でさえも歩めるのです。

 終わりの時には、困難が必ず伴います。ですから、今から備えます。特に、日々の生活に平穏さが許されているときにこそ、感謝するとともに、過度の自己愛に囚われていないかと振り返ります。パウロを迫害のなかで生かしたあの「信心の力」の輝きを、私たちも自らの生活のなかで、放つことができますように、祈り求めます。