2011年4月2日(土)1コリント14章 一緒にアーメンを


さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。(1コリント14:16)

 「異言」を語るとはどういうことでしょうか。聞く人には分からない外国語のような言葉か、母国語だが意味不明の言葉か、声か、単なる息か、想像するほかありません。

 9節には「空に向かって語る」とあります。パウロは異言を語る者よりも、預言する者の方がまさっている、といいます。それは、預言は「分かる言葉」、「意味が通じる言葉」だからです。パウロの願いは、そのようなはっきりとした言葉によって、教会が霊的に整えられることです。

 「霊的」とはどういうことでしょうか。興奮したり、恍惚になったり、神秘的な体験をしたり、そういうことが霊的なことではありません。「分かる言葉」「意味の通じる言葉」によって、キリスト者の身と心が教会として建て上げられることです。これが、霊的なことであり、私たちが求めるべきことです。言葉数は多くなくてもよいのです。初めての方も含め、教会に集う者たちが皆、一緒に「アーメン」、つまり、「その通りです」と言うことのできる言葉を祈り求めましょう。