2011年6月29日(水)列王下7章 主の言葉の確かさ


王の介添えをしていた侍従は神の人に答えた。「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう。」エリシャは言った。「あなたは自分の目でそれを見る。だが、それを食べることはない。」(列王下7:2)

 サマリアは、アラムの王ベン・ハダドの率いる軍隊によって包囲されたとき、すでに大飢饉のなかにありました(6章24、25節)。しかし、その大飢饉にも間もなく終わりが来ることを、エリシャは「主の言葉」として王に告げます(1節)。「明日の今ごろ」という時間と「サマリアの城門で」という場所が特定されています。

 また、「上等の小麦粉1セアが1シェケル、大麦2セアが1シェケルで売られる」とも告げられます。これは、本来ならば高価なはずの上等の小麦粉が、通常の相場よりはるかに安く手に入るようになるということを意味しています。

 王の介添えをしていた侍従は、「主が天に窓を造られたとしても、そんなことはなかろう」と言って「主の言葉」を大胆に否定しました。その侍従は、翌日、まさにその「主の言葉」が成就し、現実のものとなったとき、その城門で民に踏み倒されて死にます。「主の言葉」を、主がお語りになった言葉として、畏れをもって聞き従うことの大切さをここで教えられます。