2011年8月15日(月)イザヤ40章 命を得るために


慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。(イザヤ40:1)

 その昔、イスラエルの民は、自らの罪ゆえに、囚の身となってバビロンに連れて行かれました。度重なる警告を無視して、主なる神の怒りに触れたからです。神の怒りの大きさによってしか、犯した罪の重大さを自覚できない人間の愚かしさを思います。

 神は正しい方なので罪を罰せずにはおかれませんが、罪をお赦しになる憐れみ深い方です。「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と繰り返し神は「慰め」を語ってくださいます。「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」(二節)からです。罪を赦されるときに、最も深い神の慰めをいただくことができます。

 今日の聖書の言葉は、ただ昔のイスラエルへの約束にとどまりません。この御言葉は、罪と悲惨との中に苦しむすべての人びとに対する神の約束です。その約束はイエス・キリストによって成就され、御子を信じるすべての人に与えられる慰めです。苦役の大波を乗りこえる慰めが、すでに届いています。主イエスの贖いによる命の祝福、それに勝る慰めはありません。