2011年8月17日(水)イザヤ42章 見よ、わたしの僕を


見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。(イザヤ42:1)

 イザヤ書には「僕」にまつわる預言の言葉がいくつか記されています。この僕とは誰か、これ以後、ユダヤ人にとって重大な関心事となりました。新約聖書によれば、この僕こそイエス・キリストです。

 この僕についてイザヤは預言します。第一にそれは「わたしの」僕であるということです。わたしの僕とは、主なる神が支持し、選び、喜び、その霊を置いて召し出した僕です。第二にその僕の働きは「国々の裁きを導き出す」ことです。「裁き」という言葉は、罪人である私たちにとっては恐ろしい響きの言葉です。しかし、「裁き」がもつ積極的な役割は、神の義を打ち立てることです。

 どのようにして神の義を打ち立てるのでしょうか。「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする」(3節)とあります。罪の悲惨さによって弱り果て、今にも消え去りそうな私たちを、主イエス・キリストはやさしく豊かに憐れんでくださいます。