2011年10月5日(水)イザヤ63章 変わらない愛に頼る


あなたはわたしたちの父です。
アブラハムがわたしたちを見知らず
イスラエルがわたしたちを認めなくても
主よ、あなたはわたしたちの父です。(イザヤ63:16)

 祖国と聖所の荒廃を前にして、預言者は、かつての豊かな主の慈しみを想起しました(7〜9節)。主は、「彼らの苦難を常に御自分の苦難とし…彼らを負い、彼らを担ってくださった」、すばらしいお方でした(9節)。この恵みが失われたのは、民が主に反逆し、主を苦しめたためでした(10節)。

 窮境の中で、「主はどこにおられるのか」(11節)と嘆く民の側に立ち、預言者も、「どこにあなたの熱情と憐れみはあるのですか」(15節)、「なにゆえ民を迷わせるのですか」(17節)、と訴え、主が天を裂いて降り、民を救ってくださるようにと願いました(19節)。窮境は民の罪が原因ですが、主が万事を決定する絶対者であり、決して変わることのない愛のお方であることを信じての訴えです。

 たとえアブラハムとイスラエル( ヤコブ) が彼らを見捨てても、主は変わらずに彼らの父です(16節)。この決して変わらない愛こそが、主を見失うほどの窮境の日にも民の希望です。私たちの希望もこのお方にあります。