2011年10月24日(月)申命記4章 近くにおられる神


いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ国民がどこにあるだろうか。またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。(申命記4:7-8)

 イスラエルの民は、いよいよヨルダン川を渡り、約束の地に入っていくことになります。しかしそこは偶像礼拝の地です。イスラエルの民たちは、そこでしっかりと、主を信じ、崇めながら生活をしなければなりません。モーセは、主の掟と法を忠実に行って歩むように教えます。

 その際にモーセは、主の掟と法が与えられているということは、主が近くにおられるということだ、と諭します。偶像礼拝をする者は、見える物で神に近づき、神を崇めようとします。しかし、主の姿は私たちには見えず、主は語りかけることで、ご自身を示されます(12節)。その語られた言葉である律法が与えられているということは、神が共にいてくださるということなのです。

 今日では、私たちに御言葉が与えられています。神は、目に見えなくてもよいのです。形で現せないのです。御言葉があるということは、主が共におられるということです。御言葉を守って歩みましょう。それが主と共に歩むことです。