2011年12月13日(火)ゼファニヤ1章 主の怒りをまぬがれて


そのときが来れば
わたしはともし火をかざしてエルサレムを捜し
酒のおりの上に凝り固まり、心の中で
「主は幸いをも、災いをもくだされない」と
言っている者を罰する。(ゼファニヤ1:12)

 紀元前七世紀の後半、ユダの王ヨシヤを律法による祭儀改革へと導く預言者が現れます。

 神ならぬものを神とするという民の明らかな第一戒違反に対して、主は預言者ゼファニヤの口を通して警告を発します。それはすべてのものを一掃する、人を地の表から断つ、地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされるというものでした。その主の熱情は、怒りに満ちたねたみ(申29章19節)、姦淫の妻シオンの心変わりに対する夫ヤハウェの激しい嫉妬(民5章14節)としてあらわれます。

 イスラエルが偶像を愛するのは、「主は幸いをも、災いをもくだされない」と言い出すことにも表れます。これは、人びとの危機や困窮を憂うことも助けることもせず、自分の利益と安逸だけを求め、罪に鈍くなっている者の言葉です。ここに主の激しい怒りが降らないはずがありません。

 預言者を通して語られる主の鋭い言葉によって目が開かれ、主を第一とすることによって、しっかりと自らの土台を築きましょう。