2012年3月19日(月)エレミヤ3章 ただ恵みによって


もし人がその妻を出し
彼女が彼のもとを去って
他の男のものとなれば
前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。
その地は汚れてしまうではないか。
お前は多くの男と淫行にふけったのに
わたしに戻ろうと言うのかと主は言われる。(エレミヤ3:1)

 預言者は、神とイスラエルとの関係を結婚の関係になぞらえます。当初、神とイスラエルとは親密な愛の交わりに生きていましたが、妻は夫を裏切りました。イスラエルは神のもとを離れ、バアルにひざまずくに至ったのです。すなわち、姦淫の罪を犯したのです。

 にもかかわらず、イスラエルはなお、自分の力で神のもとに戻り得ると考えていました。神はイスラエルのこの楽観主義を戒められるのです。イスラエルは、ことの深刻さを理解していませんでした。それほどまでに罪の自覚において鈍かったということです。

 神は、愛のお方です。しかし、神の愛は神の義に裏打ちされています。神は人の罪に対する裁きを、いささかもあいまいにはなさいません。人は自分の罪を自力で償うことはできません。私たちを義としてくださるために、神は独り子を十字架につけられたのです。キリストは私たちの贖いのため、尊い血潮を流されたのです。私たちが神に帰ることを赦されたのは、ただ神の恵みによることです。