2012年4月1日(日)イザヤ52-53章 彼は自らを償いの献げ物とした


わたしたちは羊の群れ道を誤り、
それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて
主は彼に負わせられた。(イザヤ53章6節)

 今日から、受難週に入ります。主イエスが歩まれた十字架への道を振り返り、その意味を思い巡らしましょう。

 この預言は人びとの理解の及ばない不思議なものです。いったいこの「僕」とは誰のことなのか。やがて、この苦難と死を負われた方こそ主イエスであることを、私たちは十字架によって示されます。

 自分勝手に好きな方へ向かっていた私たち罪人は、迷子の羊です。そのような私たちの罪を償うために、罪のない神の小羊である主が、ご自身を犠牲として献げてくださいました。

 自分が神に背いていることも、さまよっていることも知らないのが、私たち人間の実情です。そして神の御子が十字架にかかってくださった意味も知らない私たちのために、主は打ち砕かれ、私たちの罪を担ってくださいました。

 主は私たちを罪から救い出すために、ご自分を投げ打つこともいとわれませんでした。この神の御子の深い愛と慈しみを、悟らせていただけるよう祈りましょう。