2012年4月5日(木)マルコ14章 ゲツセマネの祈り


「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14:36)

 主イエスの苦しみは、ゲツセマネの祈りにも非常によく現れています。このとき主イエスは、ひどく恐れてもだえ始めるという、これまでの生涯の中では想像できないような姿を見せられました。そして一度は、できることならこの苦しみを受けなくてもよいようにしてくださいとまで祈られました。それは主イエスの心からの苦しみと叫びでした。非常な苦しみを伴うものであり、ご自分の命をささげなければならないからです。

 しかし、主イエスの思いはそこから逃れることではなく、父なる神の御心に従うことにありました。多くの人の罪の贖いのために父なる神から遣わされたことを悟っておられた御子イエスは、父の御心に完全に沿うことを望んだのです。

 罪のない主イエスだからこそ、罪の裁きの十字架にかかるということは、あり得ないことでした。それにもかかわらず、私たちを救うために十字架に向かわれた主イエスの深い愛を思い、その愛に応える者としていただけるよう祈りましょう。