2012年4月10日(火)使徒26章 真実で理にかなったこと


「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。」(使徒26:25)

 メシアの復活を語るパウロに対して、総督フェストゥスは、「お前は頭がおかしい」(24節)と言いました。しかし、パウロはまったくひるむことなく、メシアの復活は、「真実で理にかなったこと」だと答えます。メシアの復活は、「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと」(22節)であり、これこそが旧約聖書に書いてあることなのだと語ります。

 聖書を学び続けるとき、このやりとりをよく心に留めておきたいと思います。メシアは復活しなければなりませんでした。そして、そのメシアはすべての人びとに「光を語り告げることになる」(23節)のです。預言者たちも、モーセも、この方に望みをかけていました。

 「真実で理にかなったこと」とは、御言葉に根ざしているゆえに言えることです。この点を確信しているからこそ、パウロは大胆に語ることができました。永遠の命をもたらすメシアを知るところから真実で理にかなった証しが語られるのです。