2012年4月14日(土)1コリント15章 死は勝利にのみ込まれた


「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによって勝利を賜る神に、感謝しよう。(1コリント15:54-57)

 キリストによって、死は勝利にのみ込まれてしまいました。死は、キリスト者にとって、もはや不幸でもわざわいでもなく、地上の生涯をまっとうした感謝のときです。

 信仰によって神と共に生きる人が、文字どおり顔と顔を合わせて神と生きるようになります(1コリ13章12節)。そのとき、完全に神の愛を知ることが許されます。

 また、私たちは、今はさまざまな罪と弱さに悩みながら共に生きていますが、終わりの日には互いにキリストに似た者として出会います。確かに「今とは異なる状態に変えられます」が、自分であることをやめるわけではありません。「この死ぬべきものが死なないものを着る」(54節)のです。そして、御子に似た者に変えられます(1ヨハ3章2節)。

 その日、私たちはお互いの交わりの中に、キリストと交わる自由と喜びを完全に覚えるでしょう。キリストの愛がその交わりを永遠に満たしてくれるのです。人生の最後を彩るのは、死の悲しみではなく、変えられる喜びです。