2012年4月15日(日)詩編123編 憐れみを待ちます


御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ
はしためが女主人の手に目を注ぐように
わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ
憐れみを待ちます。(詩編123:2)

 私たちは、地上の神の国の都、教会に上るとき、神の憐れみを待ちます。私たちは日ごとに罪を犯し、本来ならば、神の前に立ち得ない者です。しかし、神は、イエス・キリストにある罪の赦しにおいて招いてくださるのですから、私たちは進んで自分の罪を告白することができます。

 神は、放蕩息子を迎える父親のように、両手を広げて待っていてくださるので、私たちも神の憐れみを待ち望むことができます。そして、礼拝でキリストの復活の恵みにあずかって、新しい力をいただき、一週間の歩みを始めていきます。

 私たちの日々の歩みは、主イエスによれば「狼の群れに羊を送り込むようなもの」(マタ10章16節)だと言われます。私たちには依然として多くの誘惑と戦いがあり、自らの力ではとても勝利できるものではありません。それだけに、「主よ、わたしたちを憐れんでください」(3節)と一層熱心に憐れみを祈り求め、神と共に歩んでいくのです。