2012年5月7日(月)エレミヤ18章 陶工の手にある粘土


「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」(エレミヤ18:6)

 主に命じられるままに陶工のところにいったエレミヤは、陶工が粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ、それを自分の手で壊し、作り直す様子を見ました。

 器が陶工の手によって作られるように、私たちも神の御手によって造られた者たちです。もし、私たちが神の御心にかなわないならば、神は躊躇なく私たちを壊し、造り直すことのできるお方です。しかし、神は気に入らない者をただ機械的に壊すお方ではありません。悔い改めるならば、災いをくだそうとしたことを思いとどまり(8節)、逆に神の御声に聞き従わないならば、幸いを与えようとしたことを思い直す(10節)、と言われています。

 人はみな過ちを犯します。しかし、そのことが責められているのではありません。そうではなく、過ちを犯しても悔い改めようとしない横柄な態度(12節)が責められているのです。神は悔い改めた者を赦し、神の恵みを収める器として用いてくださる、憐れみ深い陶工なのです。