2012年5月10日(木)ヘブライ9章 キリストの血による清め


まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。(ヘブライ9:14)

 冒頭に「まして」とあります。旧約の雄山羊と雄牛の血による贖罪の儀式を受けている言葉です。「キリストの血」は、「それにもまして」私たちを清めて、心のあり方を変えてしまうと言うのです。

 罪を犯した者の代わりに他の人が差し出されて処罰されるなどということは法治国家では許されません。心や人格・命は、その人固有のものだからです。しかし、ただ一つの例外があります。それは神であり人である主イエスです。

 聖霊によってマリアの胎に宿り、絶えず聖霊に満たされていたイエスは、聖霊に導かれて、十字架の上で死なれました。十字架の贖罪は神ご自身の御業でした。

 神の民は、キリストの血によって罪を赦され、清められ、まことの神を礼拝するものへと変えられます。その流された血によって、わたしの心と体は新しくされ、命が与えられました。誰にも代わってもらえぬはずの罪と汚れの全てを主イエスは引き受けてくださったからです。この大いなる恵みによって私たちは新たにされます。