2012年6月8日(金)ローマ2章 誇るなら神を誇れ


あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、その御心を知り、律法によって教えられて何をなすべきかをわきまえています。…あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。(ローマ2:17-18,23)

 人は一人で生きてはいません。周りを見て、まず気付くのは、他人との違いです。他人より優れたものを持っていると思うとき、人は優越感の誘惑に曝されます。ここでの「ユダヤ人」にとって「他より優れたもの」は、律法です。

 もちろん、律法を持っているだけでは、価値はありません。律法に喜んで生きて、それを通して神に感謝することが、律法が与えられた目的です。彼らは、自分たちが律法を守っているとも誇っていました。

 しかし、パウロは、彼らが「律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている」と厳しく非難しました。律法が自らの誇りとなるとき、神に感謝し喜んで生きる実質に歪みが生じてきます。そのことに気付くには、キリストと出会い、福音の光に照らされなければなりません。

 私たちは様ざまなものを神から与えられています。それらはすべて、神に感謝して生きるためのものですが、それらが他人のものより優れているとき、自分を誇る誘惑になります。すべてのことで、ますます感謝できますように。