2012年8月14日(火)哀歌2章 立ち直るために


預言者はあなたに託宣を与えたが
むなしい、偽りの言葉ばかりであった。
あなたを立ち直らせるには
一度、罪をあばくべきなのに
むなしく、迷わすことを
あなたに向かって告げるばかりであった。(哀歌2:14)

 エルサレムの陥落によって、殺戮、強姦、暴力、さらに飢餓が引き起こされます。子どもたちは「パンはどこ」と言いながら、食べ物や飲み物のない中、「母のふところに抱かれ、息絶えてゆ」きます(12節)。

 預言者は、これらの悲惨な出来事が、神の民の罪に対する裁きのゆえであると断じます。神の民が罪を犯したゆえに、神が憤られたのです。そのことを指摘しつつも詩人はエルサレムのために涙せずにはおれません。エルサレムの受けた傷を「海のように深い痛手」(13節)として憐れみます。

 本来、エルサレムのために、預言者は、罪をあばくべきだったのです。神の言葉が説教されるとき、否、そこでだけ、人は悔い改めに導かれます。そこでこそ人は立ち直れるのです。しかし、預言者たちはそれを怠ってしまったと言います。そのために民は悔い改めて立ち帰る機会を失ってしまったのです。今日、この預言者の働きは、教会に託されています。教会のために祈らねばなりません。