2012年10月29日(月)歴代下19-20章 ヨシャファト―主は裁きたもう


「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように。今、主への恐れがあなたたちにあるように。注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」(歴代下19:6-7)

 主は、御前を忠実に歩むヨシャファトの治世を祝福し、ユダを強固な国にしました。彼の偉大な働きの秘密はその名前にあります。「ヨ・シャファト」とは「主は裁きたもう」という意味です。

 ヨシャファト王はユダの町々で祭司やレビ人たちに、律法に基づく民の教化に当たらせました(17章9節)。さらに町々に裁判官を立て、主の御旨に従って民の間を裁くように命じました。

 「わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」主の民に与えられた律法には神の義が啓示されていて、律法は民の間に平和と秩序をもたらすものです。ヨシャファトが国内に教育を行きわたらせ、裁判制度を確立したのは、御言葉による裁きによって国に平和を確保するためです。

 律法による裁きは主への畏れを求めます。主の御旨を十分に考え、神のもとにある裁きの権限を恐れつつ、自分の判断を注意深く下すことが求められます。主のための裁きこそ、教会と世界が渇望する正義と公正の源です。