2013年2月9日(土)マタイ16章 自分の十字架を背負って主に従う


それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(マタイ16:24-25)

 主イエスがご自分の苦難の死について予告されたとき、弟子ペトロは「そんなことがあってはなりません」と言いました。主はペトロの言葉の背後に、十字架の道を回避させようとする誘惑者の試みがあることを見抜かれ、「サタン、引き下がれ」とお叱りになりました。

 そして弟子たちにふたつの道について語られ、選択を迫られました。自分を捨て、自分の十字架を背負って主に従い、命を得る道、それと反対に、自分の命を救うことによって命を失う道です。中間の道、それ以外の道は存在しません。主イエスは「わたしについて来たい者は」という譲歩した表現で、聞く者が自発的に主に従い、命を得るよう促しておられます。

 自己愛にとらわれ、自分のためにだけ生きていた私たちが、主のために生きる者となるために、主は十字架上で死なれ復活されました。私たちは主を信じ、すでに新しい命に生かされています。主が為してくださった救いのみわざに感謝し、主の歩まれた十字架の道を歩み続けたいと願います。