2013年2月20日(水)創世記27章 人の思惑はずれも神の計画


「そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します。一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」(創世記27:45)

 イサクは年老いて、自分の死が迫ったと思い、父から受けた命の祝福を、上の息子エサウに継がせようとします。支度して戻ってきた息子に主の祝福を授けたイサクは、後になってその相手が下の息子ヤコブだったと知ります。エサウには、もはや祝福は残されていませんでした。彼は長子の権利を軽んじて弟に売り渡したことを悔いるのですが、後のまつりです。

 父をだまして、兄から祝福を奪ったヤコブは、家長の特権を掌握できるものと思っていました。ところが彼は、兄から命を狙われ、家を離れて逃亡する身となってしまいます。弟ヤコブに祝福を継がせようと企てた母リベカこそ、まさに確信犯でしたが、まさかヤコブが逃亡者になるとは思いもよりませんでした。

 家族全員の思惑がはずれる中で、「兄は弟に仕えるであろう」との御言葉が実現していきます。自由な選びによる神のご計画は、人をお召しになる神ご自身によって成就するのです(ロマ9章12節)。人の思惑はずれも、神のご計画のうちです。