2013年3月8日(金)1テモテ1章 作り話や系図に心を奪われるな


マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさい。異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。(1テモテ1:3-4)

 エフェソという町は、ローマ帝国のアジア州を代表する大都市です。使徒パウロは第三次伝道旅行でこの町に滞在し、二年以上にわたって一大伝道事業を展開しました(使19章8〜10節)。

 しかし、都会である故でしょうか、「律法の教師でありたいと思って」(7節)いる信徒たちが、「異なる教え」(3節)を持ち込んで、エフェソ教会の兄弟姉妹たちを惑わしていたのです。彼らは、ユダヤ教のラビよりも聖書を深く読んでいるのを自慢しようと、旧約聖書の「系図」にまことしやかな解釈を施し、際限のない「作り話」を信徒たちに聞かせていたのです。開拓者のパウロは、次代を担う若き同労者テモテをそこにとどまらせ、異端的な教えを説く信徒たちに対して、厳とした態度で臨むようにと励ましました。

 聖書の学びは、「信仰による神の救いの計画の実現」のためにこそなされるべきです。そのことを忘れるときに、人間的な関心によって聖書の学びが横道にそれてしまいます。聖書の解釈や研究に励むとき、何のために学ぶのか、今一度心に留めましょう。