2013年4月23日(火)エゼキエル9章 さばきと救いを分ける印


「老人も若者も、おとめも子供も人妻も殺して、滅ぼし尽くさなければならない。しかし、あの印のある者に近づいてはならない。さあ、わたしの神殿から始めよ。」(エゼキエル9:6)

 亜麻布を着た使者が幻に現れ(2節)、偶像礼拝を悲しむ人々に印を付けます(4節)。彼らは「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザ43章1節)とされる救いの選びの民です。印付けは、エジプト脱出の過越の夜にイスラエルとエジプトの家の生死を分けた、門柱に注がれた小羊の血を思い起こさせます。

 しかも、その印がヘブル文字のタウ(X)であることから、十字架に屠られたキリストをも思い起こさせます(1コリ5章7節)。神の恵みを無駄にする悔い改めない罪人は、エゼキエルの願いにもかかわらず裁かれます(8節)。しかし、自らの罪を嘆き悲しむ者に、神は天国の門を開いてくださいます(マタ5章3、4節)。

 神の使いが「命じられたとおり」(11節)行ったとの御言葉には、恐ろしい裁きだけでなく、印を付けた選びの民を救う神の愛と決意が強調されています。この神の憐れみを日ごと深く思い起こすとき、心からの悔い改めを強く迫られます(6節)。