2013年5月8日(水)エゼキエル17章 柔らかい若枝とあらゆる鳥


「わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、高くそびえる山の上に移し植える。…それは枝を伸ばし実をつけ、うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。」(エゼキエル17:22-23)

 ダニエル書4章では、バビロンの王のことが、その枝は天に届き、空の鳥が巣を作るほどの「大きな木」だと言われています。ゼデキヤは、そのバビロンやエジプトに助けを求める王でした。しかし、彼の滅亡は、バビロンの王によりもたらされることが、預言されています。目に見える大木に頼った彼は、二羽の大鷲に「枝を向ける」(助けを求める)愚かな「ぶどうの木」に例えられます(6、7節)。

 ダビデ王のように救いをもたらす王が、「若枝」として預言されています(イザ11章1節)。ここでも「柔らかい若枝」(22節)は、メシアの到来を表しています。小さいもの、弱々しく見えるものが、大きくなって救いとなります。始まりは目立たなくても(マタ13章31、32節)、成長すると、「あらゆる鳥」(民族)が「その枝の陰に住むように」なります。

 わたしは、大きな木を見るとき、そのようなすばらしいものを造られるのは神のみだと思います。また、わが家の庭の木は大木ではありませんが、烏、さえずる雀、たまに家鳩もやって来ます。わたしは、一羽の雀として、神に身を寄せます。