2013年6月15日(土)コロサイ2章 巧みな議論にだまされないように


わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。わたしは体では離れていても、霊ではあなたがたと共にいて、あなたがたの正しい秩序と、キリストに対する固い信仰とを見て喜んでいます。(コロサイ2:4-5)

 偽教師たちは、人間の言い伝えに過ぎない哲学を論じ、キリストにおいて廃棄された食物規定などを守るように教えていました。使徒パウロは、コロサイの信徒たちが偽教師たちの巧みな議論にだまされないようにするために、この手紙を書きました。

 パウロは上記の聖句において、捕らわれの身で離れていたとしても、霊においてはコロサイの信徒たちと共にいることを伝えています。また、彼らの信仰の確かさを「見て喜」ぶとまで、語っています。これは霊の目で洞察したという意味です。

 パウロは、手紙を書くことを通して、会えなくても、霊において共にいることができる恵みを主に感謝し、また、その祝福をコロサイの信徒に伝えたかったのでしょう。実は、このような霊的な交わりを実感することこそが、コロサイの教会員に必要でした。

 コロサイの信徒は、パウロの感謝に触れて、「キリストに根を下ろして造り上げられ…信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝」(7節)する生活へと導かれています。