2013年6月18日(火)コヘレト6章 不幸な人生の向こう側


人間、その一生の後はどうなるのかを教えてくれるものは、太陽の下にはいない。(コヘレト6:12)

 私たちは何をもって自分の人生に満足することができるのでしょうか。何一つ不自由なく暮らすことのできる財産も、誰にも低く見られずに済む地位や名声も、病気知らずの頑強な肉体や精神も、どれも人が望む幸福の条件になり得ます。あるいは、家族や親しい友人に囲まれて過ごすことが人生最大の幸福かも知れません。しかし、大きな幸せも小さな幸せも、太陽の下ではいつも不幸せと裏腹です。富も名誉も、健康な体も親しい人も、手にしたと思ったらこぼれ落ちていってしまうほど儚いものだと、人生の不幸を経験した人はよく知っています。

 自分の力ではどうにもならないこの世の不幸に目を向けて、賢者の知恵は現実的に生きることを説きます(9節)。しかしそれは、人の死の向こう側に用意された神の定めを知らされていない限りでのことです。

 死者の復活がキリストによって証明されている今、人生の幸・不幸は目に見えるものではなく、信仰によって量られます。地上の幸・不幸は、もはや天から来る幸福に勝るものではありません。