2013年7月1日(月)エゼキエル33章 立ち帰る


また、悪人に向かって、わたしが、『お前は必ず死ぬ』と言ったとしても、もし彼がその過ちから立ち帰って正義と恵みの業を行うなら、すなわち、その悪人が質物を返し、奪ったものを償い、命の掟に従って歩き、不正を行わないなら、彼は必ず生きる。死ぬことはない。(エゼキエル33:14-15)

 この箇所は一見すると律法による命の獲得のように思われます。しかし、ここで言われていることはおそらく逆です。過ちから立ち帰ったということは、すでに神と共に歩むものとなったということです。この人は、ちょうど、主イエスと出会ったザアカイが不正な富を人々に施し返したように、愛に生きる者となります。

 ここで神が民に求めておられるのは、どのような状況の中からでも、自分のこととして神の言葉を受けとめて立ち帰ることでした。その場合には、今までどのように生きてきたのか、善いことをしてきたのか、悪いことをしてきたのか、ということも絶対的な意味は持たないといいます。神の呼びかけを新たに耳にした今という時に、神の言葉をどのように受けとめるかが問われます。

 「お前は死ぬ」という言葉は、とても衝撃的な言葉です。しかし、そこにおいてなお、生きる道が開かれると神ご自身が言われました。そして立ち帰った人は、仲間への愛の業、恵みの業を行い、生きるようになるのです。