2013年7月4日(木)ヨハネ3章 天から受けてこそ


彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」(ヨハネ3:26-27)

 洗礼者ヨハネは、主イエスを証言する自分の務めから、一瞬も目をそらさない人です。ヨハネの洗礼と、主イエスによる洗礼を巡って起きた論争がヨハネのもとにもたさられたとき、彼はただちにその論争に終止符を打ちます。

 みんながあの人の方へ行きます。その報告こそ、ヨハネが待ち望んだものでした。ヨハネは、証言者としての自分の立場を、どのような曖昧さもなく自覚しています。「自分はあの方の前に遣わされた者だ」(28節)と。みんなが主イエスの方に向かうこと、みんなが主イエスの名による洗礼を受けること、その一事のために、ヨハネは神から遣わされています。

 揺るぎない自覚を支えるのが「天から与えられなければ、人は何も受けることができない」という神中心の人生観です。それは自分に甘んじよ、分を超えるな、というような人生訓ではありません。神の前での命と使命への静かな確信です。キリストに仕えるすべての人の大きな自由と平安の道が、ここに開かれています。