2013年11月22日(金) ローマ6章 キリストとの結合による再生と聖化


キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。(ローマ6:10-11)

 聖書が教える罪には基本的に二つの側面があります。一つは、神に対する法的立場で、アダムにある者と見なされることから来る有罪性です。もう一つは、それに対する神の裁きである、自分自身の霊的現実で、アダムから受け継ぐ腐敗です。これと同じ関係が救いにも当てはまります。救いは、一方では、神に対する法的適切さである、キリストゆえの義認。他方、それに基づく神の祝福としての自分の霊的現実である聖化です。

 義認が一回限りで永遠に有効な神の決定であるのに対して、聖化は私たちの生涯にわたって継続される神の働きです。私たちはキリストと霊的に結合させられることによって、キリストの死と復活の祝福、すなわち罪の赦しと新しい命を得ましたが、これに基づき、さらに、栄光化されたキリストの人間性に与り、その完全性に限りなく似るようにされていきます。これは聖霊による神の働きです。それゆえ、私たちは、体のすべての部分と働きを神の御心を行う器とするように、聖霊に助けられながら、熱心に努めましょう。