2014年4月29日(火)列王上22章 まず主の言葉を求めよう


イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。(列王上22:8)

 北イスラエルの王アハブは、アラムの支配下にあるラモト・ギレアドを奪還しようとしました。そして、この戦いのために、南ユダのヨシャファトの援軍を要請します。ヨシャファトは、この戦いが神の御心に適っていることなのかどうかを知るために、まず主の言葉を求めるようにアハブに勧めました。

 しかし、アハブが求めていた主の言葉は、いつも自分を喜ばせる都合のいい言葉ばかりでした。預言者たちも王に嫌われないように心地よい言葉ばかりを語っていたのです。しかし、それでは、神の本当の御心を聞くことはできません。

 主の言葉は、私たちの生き方に、いつも挑戦をしてきます。なぜなら、信仰に生きることは、自分の幸いを追い求めることではなく、神が与えてくださる幸いに生きることだからです。

 どうして、神はこのようなことをお語りになるのかと、立ちすくむこともあるかもしれません。しかしそこで逃げることなく、神と向き合い続けるならば、これまでに知ることのなかった神の大きな恵みに気付かされていくことでしょう。