2014年5月2日(金) ヘブライ3章 「私たちこそ神の家」という誇り


さて、モーセは将来語られるはずのことを証しするために、仕える者として神の家全体の中で忠実でしたが、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。(ヘブライ3:5-6)

 この章は出エジプトの出来事を取り上げつつ語られます。出エジプトは、奴隷とされていたイスラエルが神の民として救われた出来事です。しかし荒野の旅のなかで、イスラエルは神を仰がず心頑なになってしまいました。エジプトの奴隷に戻りたいと思うほどになった時もありました。

 「ヘブライ人」も、現代の私たちも、苦しみに打ちひしがれる中で光栄を見失い、うなだれてしまうことがあります。そこで著者は主にある誇りを彼らに回復させようと「天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、…イエスのことを考えなさい」(1節)と呼びかけます。

 天の父なる神から聖なる(=特別な)者としてあなたがたは受け入れられている。それは人となって十字架にかかってくださった主イエスを仰ぐ時に最も鮮やかに示されます。主が私たちの心に「確信と希望に満ちた誇り」を起こしてくださいます。そこから、苦しみに遭っても落胆せず、前を向いて乗り越えて行く力も引き起こされます。