2014年5月9日(金) ヘブライ5章 永遠の救いの源


キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。…そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり(ヘブライ5:7,9)

 きょうの箇所が描くキリストの祈りの様子からゲッセマネの祈りを連想される方もあるでしょう。キリストが激しく祈られたのはゲッセマネの祈りの時だけではありません。十字架上では「父よ、彼らをお赦しください」と罪の赦しを祈られました。息を引き取られる間際にも、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と大声で叫ばれるまで祈り続けられました(ルカ23章)。主イエスは地上のご生涯の間、繰り返し幾たびも、このように祈られたのではないでしょうか。

 キリストは私たちと同様の弱さを身にまとい、私たちを思いやることがおできになります。一人一人を思いやることがおできになるからこそ、罪をしっかり負われて、神に赦しを願われました。主イエスが、激しく叫び祈られたのは、罪人の身代わりになられたからに他なりません。

 キリストの祈りは確かに聞き入れられました。神は罪の赦しを与え、キリストを死者の中から復活させられ、救いを実現してくださいました。このキリストこそ私たちの「永遠の救いの源」です。私たちが救われて、今ここにあるのはキリストの故です。