2014年6月2日(月)列王下18章 我々は我々の神、主に依り頼む


彼(ヒゼキヤ)はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。(列王下18:5-6)

 ヒゼキヤの父アハズがアッシリアに屈服してから、ユダ王国はその属国となってしまいました。そのためにアッシリアの宗教に引きずられ、偶像礼拝が蔓延しました。神殿の扉は閉じられ、礼拝もささげられなくなっていました。

 しかしヒゼキヤは、神殿を清め、偶像礼拝を撤廃して、神殿礼拝を回復させました。アッシリアの神々を拝まずに、イスラエルの神に立ち帰ることは、アッシリアに対する反逆とみなされる勇気の要ることでした。実際に彼は、アッシリアの王に刃向かい、服従しませんでした。

 ヒゼキヤがそのようにすることができたのは、なぜでしょうか。それは、彼が主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主の御言葉を守ったので、主が彼と共におられたからでした。国が立つのも倒れるのも、軍隊の強さや武器の性能によるのではなく、また経済力や外交力によるのでもありません。

 このことは私たちにも当てはまります。私たちが立つのも倒れるのも、体力や能力によるのではなく、財産や人脈によるのでもなく、主を堅く信頼し、主の御言葉に従うかどうかによります。