2014年6月25日(水) ミカ6章 へりくだって神と共に


人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカ6:8)

 ミカには、一つの悲しみがありました。それは、当時の宗教儀式が、外面的な物に捉われて、その本質・命を失っていたということです。そのことに気付かず、儀式さえ守られていれば良いと思う宗教ほど惨めなものはありません。礼拝がなされ、生贄がささげられて、神の言葉が読まれていたとしても、そこに命がなかったら、それは空しい礼拝です。神が、私たちに求めておられること、それはただ一つ、命ある信仰生活なのです。そして、それは礼拝生活だけではなくて、教会でも、学校でも、職場でも、地域社会でも、主と共に歩むことに表されるのです。

 ミカは、遜って主と共に歩むことを語るのです。儀式が悪いわけではありません。しかし、そこに命がなければ、精神が伴わなければ、儀式は形だけで、宗教は命を失ってしまいます。どんな儀式もそれが目的となる時に、命を失うのです。

 大切なことは、正義を行い、慈しみを愛し、遜って、神と共に歩むことです。どこまでも神のみを愛して、神との関係を第一にして、神の愛に真実に生きることに尽きます。御子イエス・キリストを私たちのために与えてくださった、神の愛に応答して、生きることです。