2014年8月9日(土) 使徒24章 復活の希望に生きる


「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」(使徒24:15-16)

 8月は、「6日・9日・15日」を避けて通ることはできません。69年前に、二つの原爆が落とされ、悲惨な戦争を終えたことを覚えるときです。戦争は罪の結果であり、神の国を求めるキリスト者は、戦争を受け入れることはできず、極力排除しなければなりません。

 地に平和を求めることは、神の創造の秩序に従ったことであり、人と人とを区切る境界線を作ってはなりません。主イエスは「わたしの隣人とはだれですか」(ルカ10章29節)と問われ、当時罪人とされていたサマリア人をお示しになりました。感情的に受け入れることができない人をも受け入れ、隣人とすることが主の求めです。

 黙示録が描く天国では、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民」(黙7章9節)が集い、心を一つにして神を賛美し礼拝しています。復活を通して、この天の御国に入れられることを待ち望むキリスト者は、地上でも平和と一致を造り出すことに積極的です。復活の希望に生きる私たちキリスト者は、意見の異なる人たちに対しても、和解と平和を求め続けることができるからです。