2014年8月16日(土) 使徒25章 主イエスは生きておられる


「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(使徒25:19)

 ローマの総督フェストゥスの下に、パウロを殺そうとするユダヤ人たちが押しかけてきました。けれども、いくら彼らがパウロの罪を言い立てても、それを立証することはできませんでした(7節)。

 特にこの章で注目したいのはフェストゥスがパウロについてアグリッパ王に説明した言葉です。彼はパウロに罪がないことについては確信しているようです。その上で、このユダヤ人たちの訴えを「彼ら自身の宗教に関すること」とします。この「宗教」という言葉は「迷信」とも訳せるようです。フェストゥスには、主イエスの復活を含め、この論争全体をくだらないことと見下す思いがあったのかもしれません。

 けれども、パウロは主イエスが生きていることを知っていました。それは格別に神秘的なことではないのです。むしろパウロが主イエスとの出会いからこの時まで、力強く福音を証しし続けることができ、そしてこの時もなお、それが許されているという紛れもない現実に彼が生きていたからです。

 パウロと共にあった復活の主は、今も生きて働いていますし、私たちも主に活かされています。