2014年8月29日(金) フィリピ1章 祈るパウロ


知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。(フィリピ1:9-11)

 パウロは手紙の冒頭で、挨拶をした後、すぐにフィリピの教会の人びとに対する祈りを書き記しています。

 もちろん、私たちも、愛する者のために祈ります。しかしこのように祈ることを、何物にも勝る第一の事としてはいません。祈ることよりも、自らを犠牲にしても、相手のために具体的手助けをすることが第一と考えがちです。

 これに対してパウロは違います。パウロは、人間として可能な一番大きなことは祈ることである、と考えているのです。私たちとパウロとの違い、この違いは、まるでマルタとマリアの違いのようです。私たちは、愛する人と自分だけの、水平方向の人間関係で物事を考え、見ています。愛する人のために自分が何をしてあげられるか、その具体的な働きだけを考えて動きまわるのです。

 これに対してパウロは、常に、自分と神、愛する人と神、という垂直方向で物事を考え見ています。本日の箇所の祈りの内容は、相手方の深い霊性、神の前の在り方です。ですから、パウロは神を信じ、最も大きな働きとして彼らのために祈り、その祈りの言葉を贈っているのです。