2014年9月24日(水) エレミヤ47章 主の裁きの確かさゆえに


災いだ、主が剣を取られた。
いつまで、お前は静かにならないのか。
鞘に退き、鎮まって沈黙せよ。
どうして、静かにできようか
主が剣に命じて
アシュケロンと海辺の地に向けて
遣わされたからには。(エレミヤ47:6-7)

 多くの人びとが、この世の中に、楽しみと喜びを見出そうとします。確かに、人が喜び楽しむことを、神は禁じてはおられません。それは人間に与えられた恵みの一部分だからです。信仰者も、この世の中に神が与えてくださったさまざまな恵みを、楽しみ喜ぶことができます。けれども、その恵みを、神が与えてくださった賜物として感謝しなければ、私たちの魂に喜びは与えられないのです。

 エレミヤはここで、ペリシテの人びとに対して、「災いだ。主が剣を取られた」と語りました。このように神が語り出されたのは、ペリシテの人びとが、まことの神の存在をたびたび体験しながら、悔い改めることをしなかったからです。剣は、裁きを表しています。その剣を取られるのは主なる神です。神の裁きは必ずあるのです。

 この裁きの言葉は、今日においても、人生の楽しみを喜びつつも、まことの神を認めない人に向けられています。ですから、私たちは楽しみと喜びの中で、主の裁きの確かさを心に留めます。そして、キリストにおいて提供されている神の救いの確かさを何よりも喜び、宣べ伝えます。