2014年10月4日(土) マルコ9章 “塩”味のある人


「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ9:50)

 味のある人、という言い方があります。派手ではないけれど、その人の内に豊かな味わいが感じられる人を指して使います。これにならって言えば、クリスチャンは、“塩”味のある人であれ、ということになるでしょう。

 主なる神とその民イスラエルの契約は「塩の契約」とも表現されます(民18章19節、代下13章5節)。その意味するところは、塩には防腐作用がありますから神が人と結んでくださる恵みの契約は腐って悪くなることはありません。すなわち永遠不変なのだということです。クリスチャンが内に持つべき塩はこの意味での塩であり、御言葉の糧を通していただくことができます。

 結びに主イエスは「そして、互いに平和に過ごしなさい」と語られます。自身の内に塩を持つ者は、その塩の力によって罪の腐敗から守られ、平和の道を歩むように整えられていきます。きょうも一日、塩で味付けされた快い言葉で語ることができますように(コロ4章6節)。