2014年10月30日(木) ガラテヤ2章 信仰による義


けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。(ガラテヤ2:16)

 アダムの罪によって人間の中に入り込んだ罪の本性は、人間が律法の実行によって義とされない状態を作りました。つまり、人間は律法を正しく守り、善い行いをすることができず、自分の力で自分を救うことのできない存在になったのです。

 そのような罪深い私たちを救うために、神は御子イエス・キリストを遣わしてくださいました。イエス・キリストが自分の力で自分を救えない罪人の身代りとなって、十字架にかかって死んでくださったのです。罪人に要求されていることは、このイエス・キリストの贖いを信じて受け入れることです。そのイエス・キリストへの信仰のみが義とされる唯一の道なのです。

 「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(ロマ8章1、2節)。

 ただイエス・キリストへの信仰によって義とされた者として、すべての罪と死との法則から解放してくださった神の恵みを覚えながら、きょうの一日も感謝をもって過ごしたいと思います。