2015年2月7日(土) マタイ3章 聖霊と火で洗礼を授ける方


「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(マタイ3:11)

 洗礼者ヨハネの使命は、メシアによる神の国到来を告げ知らせて、そのメシアを迎える備えをさせることでした。当時の人びとにはメシアを迎える緊迫感がなかったようです。ヨハネは、「差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか」(7節)と戒め、メシアによる神の国を迎えるためには、悔い改めて神に立ち帰る必要があることを説きました。水による洗礼はそれを教え導くためのものでした。

 しかし、どんなに真摯に悔い改めようとしても、また、神に立ち帰ろうとしても、弱い私たちには、不安と恐れが残ります。本当に大丈夫だろうか。本当に自分は悔い改めたのだろうか。むしろ、考えれば考えるほど、中途半端で無力な自分に気づかされて、落胆します。

 ヨハネは、そのような私たちが自分の無力と弱さを認めて、むしろ、「後から来る方」イエス・キリストにこそ、希望をおくことを勧めています。その方は優れた方で、聖霊による命、火による清めで、私たちに洗礼を授けてくださいます。悔い改めて、目を向けるべきなのは、弱い自分ではなく、優れた方キリストなのです。