2015年3月6日(金) マタイ13章 神の国の奥義を悟れる幸い


「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」(マタイ13:16-17)

 13章にはたてつづけに主イエスのたとえ話が記録されています。弟子たちは主イエスに「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と尋ねました。

 主イエスのたとえ話には分かりやすく語るという面と、神の御国の奥義を隠すというふたつの面があります。そのために、たとえ話によって奥義を理解できる人とできない人が現れます。

 神の御国は、旧約時代の預言者や正しい人たちでさえも理解できない奥義でした。しかし、主イエスが救い主としてこの世に現れたとき、この奥義をたとえ話によって民衆に解き明かしてくださいました。

 主イエスは、「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ」と言っておられます。しかし、私たちがたとえ話の中に秘められた奥義を理解することができるのは、自分の能力によるのではありません。聖霊の導きによるのです。

 たとえ話の表面の言葉にとらわれず、神の国の奥義を明らかに悟らせていただいている私たちは、何とも幸いな者であるのです。