2015年3月13日(金) マタイ15章 抜き取られないように


あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。…「口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」…イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。」(マタイ15:6,11,13)

 ファリサイ派の人びとは、日常生活のすべてを先祖からの戒めによって厳しく制限していました。彼らの基準からすれば、主イエスの弟子たちが、食前に手を洗い清めなかったことは、非難されるべき行動です。

 イエスは、外からの汚れではなく、心の中の汚れを清めることを、まず求められました。しかし、ファリサイ派の人びとは、主イエスの教えを受け入れることができませんでした。主イエスが先祖からの言い伝えを無効にされた、と思ったからです(2節)。

 神の言葉が説かれるとき、必ず、心がそれに反応します。しかし、先祖から伝えられた戒めは、心を作り変えることはできません。習慣を守るだけの宗教か、神の言葉に従う宗教かという問いが、彼らに突きつけられました。

 そして、主イエスは、彼らは天の父がお植えにならなかった木なのだから、抜き取られてしまうと警告されました。私たちも習慣を守るだけなら、抜き取られます。

 御言葉によって内なる汚れを気づかされ、主の贖いによって清められた心を曇らせないように、さらに日々磨き続けたいものです。