2015年3月18日(水) イザヤ10章 主が歴史を導かれる


斧がそれを振るう者に対して自分を誇り
のこぎりがそれを使う者に向かって
高ぶることができるだろうか。
それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし
杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい。(イザヤ10:15)

 覇権を争い、戦いに明け暮れる大国の姿は、時代が変わっても絶えることがありません。『戦記』と呼ばれる歴史書には、勝利者の武勲や巧みな戦略がたたえられています。そこから学び取れることはたくさんあるでしょう。しかし、聖書にはまったく違った観点から、覇権を握った大国のことが描かれています。それは神の裁きの道具としての姿です。世界に名だたる大きな国も、一時のための神の道具に過ぎないのです。きょうの聖書の言葉にあるように、斧ものこぎりも、それを使う主人以上のものではありません。

 もちろん、これをそのまま現代の大国に当てはめることはできません。神の裁きの代理人として弱小国を懲らしめているわけではないからです。ただ、普遍的な真理を聖書から引き出すとすれば、国家が神の座を占めることはできないということです。

 大国アッシリアの脅威に脅かされる小国ユダに、神が預言者イザヤを通して語る希望はこうです。「シオンに住むわが民よ、アッシリアを恐れるな」(24節)。歴史を導かれる主こそ、私たちが従うべきお方です。