2015年4月28日(火) イザヤ29章 アブラハムを贖われた主


彼はその子らと共に
民の内にわが手の業を見てわが名を聖とする。
彼らはヤコブの聖なる者を聖とし
イスラエルの神を畏るべきものとする。
心の迷った者も知ることを得
つぶやく者も正しく語ることを学ぶ。(イザヤ29:23-24)

 29章にはいくつかの預言が並べられています。それらはいずれも罪に対する裁きを語るもので、その姿は「なんとゆがんでいることか」と嘆かれています(16節)。

 ところが、そのような者たちに、神は「アブラハムを贖われた主」(22節)として語られます。この表現は聖書の中でここだけにあるものです。これは異教徒の中にいたアブラハムを導いて信仰の先祖としたことを語っています。

 民たちが外国に捕囚になり、辱められ、民族の存続もどうかというときに、「その子らと共に」とあるように、神の御手の業として「子ら」が与えられるというのです。滅びるのを免れて子が与えられるというのは、神の御手の奇跡に他なりません。民たちは、この奇跡を見たとき、主なる神を畏れる者とされます。

 「子らと共に」という預言は、アブラハムへの約束が途絶えていないことのしるしといえるでしょう。このことを見たときに、本当の意味で神を畏れる民とされ、そのとき、結びの24節が起こります。このことを教えるために、神は贖いの主として臨んでくださいます。